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「表千家 三代 元伯宗旦 咄々斎」
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表千家 三代 元伯宗旦 咄々斎
利休の孫であり、利休の茶道を完成させたのが千家三代目の宗旦です。利休が追求した「侘び」を極めんとし、私生活でも質素な生活に終始したことから「侘び宗旦」「乞食宗旦」とあだ名されたそうです。宗旦は元服を前に千家にゆかりのある禅宗の大徳寺に修行に出されていました。しかし、その後利休の死、千家離散の時期を経て、少庵が京に戻ると還俗し、少庵とともに千家復興に尽力します。その後、数年で少庵が早々に隠退したため、宗旦は20代半ばで家督相続しました。宗旦は「侘び宗旦」のあだ名でも分かるように、侘び茶を謹直に追求した人物でした。 宗旦が茶の世界で頭角を現しはじめたころは、小堀遠州や本阿弥光悦らが茶の新境地を切り開きはじめた時期でもありました。利休の茶の成果を十分に取り込みつつも、それを乗り越えようとする茶道の第二黄金期であったとも言われています。少庵、道安の両者から利休流の茶道を受け継ぎ、秀吉からも利休の後継者として認められていた宗旦は、そんな風潮の中、敢えて利休の茶道を極限まで掘り下げようとしたのでした。
利休流の質実さ、透明な硬質さに溢れている咄々斎の作品
質素を旨とする茶道を実践し、私生活でも一切仕官することなく、困窮の生活を送ったそうです。それでもなお、80歳のときに書いた「茶杓絵讃」で、宗旦は「8歳から茶を習っているが、80歳を迎えた今でも茶の秘奥は分からない」という意味の言葉を残しています。彼にとって茶道は人生そのものだったのでしょう。宗旦の言葉は今も数多く伝来しており、「茶室のものは少ないのが良い」「茶道具の由来を聞くのは数寄ではない」「茶会は一畳半で十分だ」と、繰り返し質素であるよう戒めています。宗旦が残した茶道具は、そんな生き方を反映してか、利休流の質実さ、透明な硬質さに溢れています。有名どころでは楽焼の三代目「のんこう」こと楽道入に焼かせたのんこう焼、飛来一閑に作らせた「一閑張り」の漆器などがあり、いずれも黒を基調とし、質素と雄渾を前面に押し出しつつも、侘び特有の機能美を併せ持つという絶妙のバランスのうえに成り立っています。咄々斎の号の「咄」は、驚きを意味する言葉でもありますが、これを号にしたのは、宗旦一流の諧謔であったのかもしれません。